【雑談】おれのものはおれのもの~ジャイアンと私有財産制度~
お世話になっております,弁護士の小見山です。
立て続けに事務局だよりが投稿されていましたね。
小職も楽しく拝読する一方で,
日頃から事務局の支えがあってこその仕事だなと
改めて痛感する次第でございます。
文書にすると数行のことですが,
戸籍調査は手間も時間もかかりますし,
相続や遺言執行時の口座解約などの手続も
手間と時間がかかるので,
いつも本当に助かっております。
決して楽な仕事ではありませんが,
事務長も仰っているように
やりがいを感じられるお仕事なのではないかと思いますので,
気になった方は是非とも気軽に応募してみてくださいね。
さてさて,先日Netflixでスラムダンクの映画が配信されたようで,
あの感動をまた自宅で味わいたいなと思っている今日この頃です。
とはいえ,アニメ自体は結構好きなのですが,
アニメ映画となると,これまであまり観てきませんでした。
定番の名探偵コナンなんかも結構話題になってましたが,
何となく劇場まで足を運ぶには至りません。
アニメ映画の定番といえば,
あとはやはりドラえもんでしょうか。
「俺のものは俺のもの。お前のものは俺のもの。」
という何とも傍若無人極まりないセリフでおなじみのジャイアンですが,
どうやら映画版ではすごい良い奴になるらしいですね。
不良がたまに良いことするとすごくよく見える理論なのではとも思いますが,
上記のジャイアンの考え方は,
意外と法的な示唆に富んだものだったりします。
というのも,そもそもどうして「俺の物は俺の物」といえるのでしょうか。
皆さんがきっと今手にしているであろうスマートフォンやパソコンは,
「会社の物」であったり,「自分の物」であったりするでしょうが,
少なくとも「誰かの物」であるはずです。
ジャイアンは全部「自分の物」だと言うわけですが,
我が国において,
「自分の物」ということが言えるということは,
あまりにも当たり前すぎて,
実はあまり考えたことがない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
少なくとも私はあまり考えたことはなかったです。
というわけで一緒に考えてみましょう!
ここで参考になるのは,「日本国憲法」です。
小学校の頃に前文を暗記したことがあるよっていう方はいらっしゃるかもしれませんが,
きちんと憲法の条文を読むことって実はあんまり機会がないですよね。
で,参考になるのは,日本国憲法第29条です。
さっそく条文をみてみると……
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
と定めてあります。
第29条第3項をみると,「私有財産」って書いてありますね。
読んで字のごとく,私的に保有する財産のことですが,
このように国民が財産を持つということを憲法で制度的に定めているわけです。
これを「私有財産制度」なんて言ったりします。
我が国は,私有財産制度を採用しているからこそ,
国民の皆さんがそれぞれ財産を持てる,
つまり「俺の物」という考え方ができるわけです。
私有財産制度を採用していない時代,国や地域もあり,
「俺の物」といえることは,
必ずしも当たり前のようで当たり前のことではないんですね。
極端な話,基本的に国内の財産は全部「国の物」という考え方もあり得るわけです。
国民は等しく国から物を借り受けているだけよと。
「俺の物だ」というのと,
「俺が国から借りた物だ」というのでは,
国民同士の関係では,
あまり現実的な違いはないかもしれません。
ただ,国との関係では,
本質的に異なることになります。
というのも,先ほどみた条文を見てもらえば分かりますが,
「財産権は,これを侵してはならない」とあるように,
私有財産制度の下では,
国といえども,国民の財産権を不当に侵害することはできないわけです。
たとえ犯罪捜査のためであっても,
国民の自宅を調べるには,捜索差押令状がない限り,
好き勝手に調べられたり,物を持って行かれるなんてこともありません。
ところがどっこい,
国が国民に貸し渡しているに過ぎない物だとすれば,
一定の制限はあっても,
本質的には「国の物」なので,
返してもらうという結論は基本的に維持されるはずです。
だから何だという方もいらっしゃるかもしれませんが,
よくよく考えると,これはとても怖いことです。
例えば,当たり前のように住んでいる「自分の家」であっても,
ある日突然,国から「返して♡」なんて言われてしまうかもしれませんし,
あるいは,国からすれば自分の物だから,
「犯罪の証拠があるかも…!」でいきなり家宅捜索
なんてこともあるかもしれません。
そればかりではありません。
先ほどは国民同士の関係では現実的な違いはないかもしれない
と言いましたが,よくよく考えてみると,やはり影響はありそうです。
というのも,例えば,憧れの400CCのバイクをついに購入したぜ!
と思った翌日,そのバイクが突然国に持って行かれてしまうかも…
という可能性があったとしたら,
安心して買い物できるでしょうか。
皆さんが安心して日々の買い物ができるのは,
その大前提として,
正に買い物をしようとしているそのお店や売主の商品が
「店の物」,あるいは「売主の物」だと信頼しているからだったりします。
だからこそ,購入すれば「自分の物になる」
と暗に確信しているわけです。
「自分の物」であれば,
国であろうが,不当に侵害はされないはずですから,
安心して憧れのツーリングに出発できるわけです。
かなり極端な例を用いて説明しましたが,
日本国憲法第29条は,
上記のように「国民が安心して経済活動ができるように」
という価値判断を前提に,
私有財産制度という制度を採用し,保障することにしたわけです。
大学の憲法の授業なんかでは,
私有財産制度それ自体は事細かにやらないというか,
その前の人権部分に大半の労力が割かれている気がしますが,
現実社会の取引活動の根幹には,
上記のような価値判断が内在しており,
当たり前すぎてなかなか実感はできませんが,
実はとっても大事なことを憲法が定めているんですよってお話です。
憲法のことは,またいずれお話できればと思いますので,
今日はこれくらいにしておきますが,
「俺の物は俺の物」という考え方は,
憲法だけにとどまりません。
というのも,憲法が定めているのは,
あくまで私有財産制度という制度を保障するよーということまでで,
どんな財産権があるかということは,
法律で定めることとしています。
先ほどの条文にも,
「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」
って書いてありましたよね。
さて,そこで出てくるのがおなじみの民法です。
と,その前に余談ですが,
「憲法」は「法規範」ではありますが,
「法律」ではありません。
法律というのは,国会で定めた法規範のことであり,
国民の権利内容を定めたり,
権利の制限範囲なんかを定めていますが,
憲法は,国家を縛るためのものなので,
本質的な作用するベクトルが逆です。
国民→国が憲法だとすれば,
国→国民が法律です。
もっとも,法律といってもその種類は正に千差万別で,
国民同士の関係を規律するものもあれば,
国との関係性を定めたものもあります。
例えば,刑法は,犯罪の内容や刑罰の内容を定めていますが,
これは,言い換えると,そこに書かれていること以外では,
国から罰せられることはない,
という消極的な意味で国民の権利を保障しているともいえます。
いわば国と国民とのお約束という意味では,
国との関係を定めた法律ということがいえます。
他方で,民法というのは,
国民同士の関係性を定めた法律です。
かなり乱暴な分類にはなりますが,
イメージとしては,
国と国民の関係を「縦」の関係だとすると,
国民同士は「横」の関係であって,
この「縦」の領域を「公法」,
「横」の領域を「私法」といい,
講学上分類して考えられています。
さて,そんな国民同士の「横」の関係である私法領域の
もっとも一般的な法律が「民法」なんですね。
そのため,民法は,「私法の一般法である」なんて言われます。
そんな私法の一般法たる民法の大原則には,
「所有権絶対の原則」なんてものがあります。
財産権は法律で定めてねーと憲法から頼まれた民法ちゃんは,
「所有権は絶対保障するです!」と考えているわけです。
察しの良い方はお分かりのとおりですが,
まさに憲法が制度として保障した私有財産制度の根幹をなす
「国民同士が安心して取引できる社会」
を実現するためには,
所有権は絶対不可侵だとしなければならない
とこれまた価値判断しているわけです。
先ほどの例のとおり,
安心して取引をするためには,
正に売主が売っている商品が「売主の物である」
ということが大前提になっていましたよね。
この「売主の物である」というのは,
言い換えれば,「当該商品を売主が所有している」
あるいは,「売主が当該商品の所有権を有している」
ということになるわけです。
「国民同士が安心して取引できる社会」
という価値判断をより具体化するため,
民法が編み出したのが,この「所有権絶対の原則」というわけです。
なので民法的にいえば,ジャイアンのセリフは,
「俺の物は,俺が所有権を有している。」ということになるわけです。
何だか文章にすると,すごく当たり前のことではありますが,
憲法から民法へ,私有財産制度から所有権絶対の原則へ
「取引の安全」という価値判断が具体化された結果,
ジャイアンは「俺の物は俺の物」といえるのです。
なんだか壮大ですね。
ジャイアンの理不尽さは,むしろその後の「お前の物も俺の物」という部分ですが,
「お前の(持っている)物は,俺が所有権を有している。」というのであれば,
民法的にはあり得る話だったりします。
というのも,民法は,
「所有」と「占有」を区別することにしており,
ここでいう「所有」というのは,正に「所有権」のことですが,
「占有」とは,当該財物を事実上保有している状態のことであり,
これも「占有権」という権利として定めているのです。
そのため,ジャイアンがいう「お前の物は俺の物」というのは,
「お前が占有している物は,俺が所有権を有している。」
ということであれば,十分起こり得るわけです。
占有はあくまで事実状態ですから,
その発生原因は,「借りた場合」もあれば「盗んだ場合」など
色々考えられます。
アパートを借りている方であれば,
自宅を占有はしていますが,所有はしていませんよね。
なので,家主からすれば,「あなたの自宅は,私の物」といえるのです。
もしかしたら家主は皆ジャイアンなのかもしれません。
冗談はさておき,
以上のとおり,
ジャイアンの代名詞とも言える理不尽なセリフですが,
よくよく考えてみると,
法的には示唆に富んだものだったりするのです。するのです。笑
法律ってやはりどこかとっつきにくいというか,
難しいというイメージを持たれる方が大半だとは思いますが,
社会生活を営む以上,ルールというものは,
ほぼ必然的に自然発生するものだと思います。
原始時代でも「ここからここは俺の狩り場だ!」みたいなものでも,
一つのルールだといえますし,
最近なんかだとネットゲームなんかやる方は共感してもらえると思いますが,
人が集まるとなんだかんだで,
ふわっとしたルールが形成されていきますよね。守る守らないは別にして。
そうやって,人類が社会を形成するにつれ,
そのルール,すなわち規範は複雑化し,
さらには「法」というものを発明し,
発展させてきたという気が遠くなるような歴史があるわけです。
なので,案外身近なことでも,
一つ一つ法学的な視点で紐解いていくことができたりします。
つまり,言うほどとっつきにくくもないし,
元々は言うほど難しいものでもない,
ということです。いや,実際難しいんですけど。笑
ただ,憲法なんかはもはや法学というより哲学に近い部分もあったりするので,
案外法学の入口としては面白いんではないかと思っていたりします(異論は認めます。笑)。
その他にも民法には,
例えば契約自由の原則といった大事な原則もあったりしますし,
憲法も話してみたいことはありますが,
少し長くなったので,それはまたの機会に。
何だか春が一瞬のうちに終わり,
気が付けばいつの間にか夏が我が物顔で闊歩している気がしますが,
季節の変わり目であることはもとより,
最近やたら暑いので,
熱中症など皆様お体にはくれぐれもご注意ください。
ちなみに小見山は暑いとステータスが半減します。
(次の更新は期間が空くかもという保険ではありません。ありませんから…。)
ではでは,またいつかどこかで。笑
令和6年6月吉日
弁護士 小見山 岳