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【雑談】覆水盆に返らず~事故で壊れた車が元通りにならない?~

お世話になります,弁護士の小見山です。

猛暑を言い訳に9月は投稿をサボってしまいましたが,
何だか朝晩は涼しく秋らしい感じになってきたので,
ネタ切れ疑惑もありますが,
とりあえず投稿することが大事!の精神で投稿してみます。

ところで,サボっていたといえば,
今年は春先から早朝か仕事終わりに
ジョギングやウォーキングをしていたのですが,
GW明け頃からは,
暑すぎるのと膝が崩壊してしまったので,
人知れず無期限活動休止としてました。
ですが,涼しくなってきたので,
まずは散歩から活動再開してみようと思います。
果たして次回投稿時までに活動再開をしているのか,
そして継続できているのか。乞うご期待。

とまぁ雑談はこの辺りにしておいて閑話休題。
当事務所では,
交通事故の案件を保険会社から頂戴することがままあるのですが,
交通事故には損害の種類に分けて大きく2つの事件があります。
聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが,
一つは,お怪我をされた場合のその怪我に対する賠償が問題になる場合です。
これを人身事故なんて呼んだりしています。
他方で,幸い怪我はないけど,
車が傷ついた,壊れてしまったという場合ですが,
これを物損事故なんて呼んだりして区別しています。
もっとも,お怪我をされるくらいですから,
大抵の場合はそれはもう車も壊れていますから,
人身事故の場合は,同時に物損事故である場合もあることが多いのです。

今日は,上記でいう物損事故についてのお話です。
物損事故でいうと,
主な損害費目としては,
何と言っても修理費用がメインになります。
その他に修理中に代車を利用する場合もありますから,
代車費用が計上される場合もありますし,
そもそも事故のせいで自走できない場合には,
レッカーで牽引してもらうことになるので,
牽引費用なんてものも計上されることもあります。

追突やセンターオーバーなど相手方の一方的過失による事案,
あるいは酒酔い運転だったなど,
すごく危ない思いをされたときや相手方の事故態様が悪質なとき,
あるいは,相手方やその保険会社の初動対応が悪い(謝罪が一言もないなど)
と感じられたときなどに
慰謝料請求はできないのか?
というご質問を頂戴することがあります。
確かに,実際に怖い思いをされた場合,
幸い怪我はなかったから良かったものの,
「もしかしたら…」と考えると,
何らか精神的苦痛を感じたとしても,
おかしくはないように思います。
そういう意味では請求できてもおかしくはないのでしょうが,
実際には物損事故において精神的苦痛が認定されることは殆どありません。

といいいますのも,
あくまで物損事故の場合は,
本来的には車両という財産に対する権利侵害ですので,
例えば,損害を受けた対象物そのものに
何か強い思い入れがある場合など
極めて例外的な場合でなければ
物損事故で慰謝料が認められることはありません。

他方で,人身事故の場合には,
怪我をされているので,
これに対する精神的苦痛を慰謝するものとして,
傷害慰謝料あるいは通院慰謝料が算定されるほか,
残念ながら後遺障害が残存した場合には,
後遺障害慰謝料が別途算定されますが,
酒酔い運転や救護義務違反(いわゆるひき逃げ)などの悪質な場合には,
これらの慰謝料の増額事由として考慮されることがあります。

「でも事故に対する恐怖とかそういったものそれ自体から精神的苦痛を感じることはあるのでは?」
という疑問もありそうなものですし,
実際,運転が怖くなって,なるべく運転を控えるようになったとか,
センターオーバーの事案なんかは事故状況がフラッシュバックすることもあり得ますから,
将来的にどうなるかは分かりません。
新たな判例を得るのも弁護士の仕事ではありますが,
なかなか難しいのが現実です…。

さて,難しい現実といえば,
メインの修理費用でもなかなか世知辛い現実が待っています。

損害賠償においては,
損害の算定は,差額説といって,
「事故がなければ存在した価値」と
「事故による現在の価値」との差額
を損害だと考える見解が一般的です。
この考え方を前提に,
「事故による現在の価値」は,
修理をすることによって,
「事故がなければ存在した価値」まで戻るから,
基本的に修理費用が損害になると考えるわけです。
この「事故がなければ存在した価値」を時価相当額といいますが,
修理をする,つまり時価相当額の価値に戻すのに,
時価相当額を超えてしまう場合があります。
例えば,事故時の時価相当額が100万円の車があったとして,
事故により壊れてしまい,
その修理費用が150万円かかるという場合です。
あくまで事故がなければ存在した価値に戻すことまでが賠償の範囲ですから,
それを超えてまで戻す義務まではないと考えるため,
このような場合を「経済的全損」といって,
時価相当額を賠償することになります。

この時価相当額をどのように算定するかというと,
同一車種で走行距離等が同程度の車両が多数存在しており,
市場価格が形成されている場合にはそれによることになります。
要するに再調達価格ということですね。
ところが,古い車なんかだとあまり中古車も少なかったり,
金額もまちまちだったりとまぁなかなか「市場価格」というものがなかったりします。
保険会社がよく用いる算定方法としては,
レッドブックという中古車価格を算定した資料があるので,
それを前提に,走行距離等から減額するという方法もあります。
ところが,たまにレッドブックにも載っていないような車あったりするわけです。
そんなときには,最後の手段で,
いわゆる減価償却の方法,つまり取得時価格から
耐用年数に応じて減価して事故時の価格を算定するのですが,
古い車だともはや償却済みであることが殆どです。
事故さえなければ普通に乗れていたのに,
事故に遭い,買い直すにしてもとてもじゃないけど,
賠償案の額では買い直せないよ……
なんてことも現実にあったりします……世知辛い。
そのための車両保険だったりするんでしょうが,
古い車に車両保険かけている方ってあまりいませんよね。
悪いのは相手方なのに,なぜこんなことに……
とよく聞く声ですが,
心苦しいけど100%納得いただける解決ができることの方が稀というのが現実。あぁ世知辛い。

そればかりではなかったりもします。
というのも,先ほどの差額説からすると,
修理をすることによって,
「事故前の価値」に戻せるというのが基本なのですが,
修理によっても事故前の価値まで戻せないという状況があり得るわけなのです。

例えば,追突事故など相手方の一方的過失による場合,
修理しても完全には直らない場合や,
物理的に直りはしても,損傷箇所によっては,
売却する際には修復歴があるよーと表示しなければならない場合があるわけです。
車両の表層,いわゆるパネルの損傷であれば,
表示義務などクソ食らえなのですが,
骨格部分にまで損傷が及んでいる場合には,
表示義務が出てきちゃうんですね。
事故された方なら分かるかもしれませんが,
保険会社のアジャスターさんが,
ボンネット開けた写真だったり,
後部のハッチを開けた写真や底部からの写真なんかを撮っていることがありますが,
これは骨格部分にまで損傷が及んでいるかを確認してたりします。

さて,皆さんは代金も含めた条件が同じ車両が2台あり,
一方は修復歴の表示がなく,他方は修復歴の表示がある場合,
どちらを購入されるでしょうか。
「事故にも耐えた頑丈な車だから修復歴ありの方」
という猛者には未だかつて出会ったことはなく,
殆どの方は前者を選ぶことでしょう。
そうすると,後者を売るためには,
当然価格を下げなければなりませんから,
やはり修復歴の表示はそれだけで車両の価値を下げる要因になります。
何なら昨今中古車市場が高騰していますから,
現実的には売れないということもあり得るかもしれません。
そんな時,その下がった分の価値を損害として計上すべきといえるか,
またその低下した価値をどのように算出するか
ということが問題になります。
一般的には,これらの損害を「評価損」などと呼んいるのですが,
これがまた世知辛い。

というのも,これまでの裁判例で評価損が認めらてきたのは,
大抵は高級車,しかも外車が多く,
国産車でも認められた事例はありますが,
それでも登録からせいぜい4~5年以内でなければ認められません。

「え,修理でも戻せない分の価値を評価損というなら,別に登録時期関係なくない?」
という疑問をお持ちの方,分かります。
これは少し込み入った話になるのですが,
先ほど申し上げた
  修理しても完全には直らない
という場合と
  修理して直ったけど修復歴のせいで価値が下がる
というのは,厳密には全然違うんですね。
まず前者の方は,修理しても完全には直らないので,
端的に「現在の価値に戻せない」といえますから,
今現在の損害として比較的認定しやすいんですね。
この場合には,国産車であっても,
また理論上は登録からの経過時期は,
金額の問題に昇華されるだけで,
損害の存否という意味では関係ありません。
でも完全には直らないってあんまりないんです。
修理工場さん,しゅごい。

てなわけでよく問題になるのは後者なわけです。
よくよく考えると,後者の場合には
修理して直っているわけです。いや良いことなんですけどね。
つまり,物理的な損害としては回復されているわけです。
この場合の価値の低下というのは,
実は「将来的に売却する時に」という条件があるんですね。
つまり,後者の場合は,
今現在の損害ではなく,将来の損害だったりします。
将来の損害というのは,発生する蓋然性が認められなければならず,
現在の損害よりもはるかにハードルが上がります。
で,登録から相当年数が経っている車を実際いつ売るのかと言われると,
正直直っているので売る必要性もないので,
持ち主のさじ加減になってしまうわけです。
売る場合には確実に価値は低下するけど,
いつ売るかは分からないというのでは,
時期によってはその低下分も相当差異が生じるでしょうから,
なかなか損害として認定し難い。
まして登録から一定期間が経過している車両となると,
現在価値自体が相当低く見積もられてしまう可能性もありますから,
なかなか評価損を認定できないわけです。
細かい理屈を言うと,もっと色々ありますが,
イメージとして概ね上記のとおりです。

以上のとおり,
100%相手方が悪い事故であっても,
元々運転していた車が100%元通りにならない
ということもあり得るわけです,あぁ世知辛い(サブタイトル回収!)。

無過失の事案であれば,
何ら契約者様に落ち度はないので,
表題の覆水盆に返らずというのは,
若干意味合いが異なりますが,
損害賠償の根底には,
「損害の公平な分担」というよく分かったような分からないような考え方があり,
小職なりに平易に換言すれば,
「今は被害者でもいずれ加害者にもなり得る」
という考え方というか視点だと思っています。
語弊を恐れずにより具体的に言えば,
被害者の立場からはとにかく全部賠償しろと言いたくなるけど,
加害者の時にはなるべく費用を抑えて……
というわけにもいかないので,
いずれの立場にも立った上で,
現実的に妥当なところで折り合いを付けましょうということかなと思っています。

というのも,車両の運転は,許された危険などと言われることもあります。
本来人間は根源的に自由であるとすれば,
皆が好き勝手に運転しても良いはずです。
免許制度などクソ食らえと。
しかし,そうなってしまえば,
昨今問題になっている飲酒運転やあおり運転ばかりか,
未成年者だって,というか小学生や幼児だって運転できてしまうことになり,
日本の交通秩序は大混乱となりかねません。

だからこそ,近代国家の多くは,
一般的に車の運転を禁止した上で,
一定の資格を有すると証明された者だけに
車の運転を許可するという制度設計にしているわけです。
とはいえ,交通事故が全国的に減少傾向にあるようですが,
それでも少なくない数の死傷者が発生することは,
世の中の大人は皆分かっているのです。
それでも,車の運転が許可され続けているのは,
他方で利便性などを考慮しているからに外なりません。
特に山口県で車がないと現実的にはかなり困ります。
そこで,交通事故というリスクがあると分かって運転しているんだから,
その責任は,社会全体で公平に分担しようね
という考え方が出てくるわけです。
もちろん民法の大原則である責任主義からすれば,
無過失である場合には責任を負うべき必要はありません。
ところが,別の理屈,例えば先に例に挙げた
社会全体からみる車の運転という制度設計から,
被害者であっても一定の制限がある得る
と考えられるのはないか
とそんな風にも思うのです。

依頼者のご要望に100%沿った解決ができない
ということもしばしばあるのが現実です。
その度に申し訳ないと思う反面,
どうして過失がないのに,
依頼者が現実的な困難を負担しなければならないんだろう
という疑問に直面することが最近多かったので,
小職なりにこう考えることはできないかな
というある種の考察をしてみた次第です。

十分に検討を重ねたわけではないので,
あくまで雑感程度と思っていただければと思いますが,
少なくとも依頼者の方から,
小見山に任せたのが運の尽き,
覆水盆に返らずと思われないよう今後も精進しようと思います。

季節の変わり目で明け方や夜間はやや肌寒く感じることも多くなってまいりました。
皆様におかれましては,
風邪など引かれませぬようご自愛ください。

 令和6年10月吉日

            弁護士 小見山 岳